「心理学界のブラックジャックとの出会い」
言葉の魔術師、それが長谷川泰三先生の印象だった。言葉だけでこんなにも癒され、感動し、涙するものだったとは思いもしなかった。
当時の僕は、全てを妻のせいにしていた。
妻の過酷な半生が、夫婦仲が上手くいかない原因だと、僕に原因があったとは思いもしなかった。お互いに冷めきっていて離婚を考えてました。2人を繋ぎ止めてるのは、子供だけだった。
僕の身の上話をすると涙を流す方がいる・・・なんで?意味が分からない。そんなに悲しいことかな?
感情を凍らせていた僕は、一生懸命に助けようとしていた妻に八つ当たりをしていたらしい。
(正直あまり覚えてないんです、無意識だったみたいで(-。-;)
のちに分かった事だが、自分に一番近い人(理解してくれそうな人)に当たるらしい。
当たる(攻撃)=助けて (最初は意味が分からなかった。)
【助けてが言えない】
助けて欲しかったら、素直に助けて!って言えばいいじゃん♪って思うでしょ?
本当に人の心は複雑で、心の声を素直に出せたら、どれだけ楽か・・・ってか、それさえも理解できてなかったから、どうしようもなかったんだよね~(><;)
「助けて」が言えなかった、だって誰も助けてくれなかったし、言ったら自分が崩れてしまうのを本能的に察してたんだと思う。
男気が強く、皆に頼られて、強い自分でなければいけない。涙なんて禁物、甘えなど許されない。片意地張って生きてきた。そんな人間だったと思う。
(泰三先生):「俺と一緒やな~、まるでゴルゴ13やん!背中に「孤独」って書いてあるで~」
言葉が胸に響いた。絶対に心の内を見られたくなかった、弱気を見せたら今まで踏ん張ってやってきたことが、崩壊すると思ってた。
ましてや人前で涙を流すなんて想像がつかなかった、何を言われても泣かない自信があった。
【自分がこんなに苦しんでたなんて】
でも、言葉の魔術師には完敗だった。
気付いてない心の奥底に沈めたはずの色んな感情が、次から次へと沸き出てきた。
頭の中で「もうやめて!それ以上何も言わないで!」涙が堰を切ったようにとめどなく流れた。
自分自身がこんなにも苦しんでたなんて想像もしなかった…
正直、人前で泣くなんて、恥ずかしさと、情けなさ、弱い人間だ、って思われるみたいで、すごくすご~く嫌だったが、時間の経過と共に、胸が少しスッ~とした。
今から思えば、当時の僕は、感情が凍っていた為、怒ることさえ忘れていたらしい。
(泰三先生):「皆さん、怒るときって、どういう時ですか?」
の質問に、僕だけが答えられなかった。
(泰三先生):「は~い、ここに怒ることさえ忘れてしまった人がいま~す♪」
と言われた事を思い出した。
5年前に泰三先生は他界されてしまいましたが、引き続き奥様の友子先生が「禅心理学」として、パッチまーくんで講座を開催してくれている。生徒も現在10名程。ありがたや。
あれから6年、感情を取戻し、心底分かりあえてきた夫婦になれました。(たぶん・・・)
今では、かみさんに頭が上がらないです。(-。ー;)
泰三先生・友子先生に命を救われました。本当にありがとうございました。
心理とは奥が深いもので、まだまだ勉強中ですが、僕の体験談でお客さんを少しでも癒せたらもしくは、肩の力を抜かせられたら、お二人に恩返し出来てるかな?と思います。
*追伸:この内容は「まんが 車いすのカウンセラー」に泰三先生へのお礼の手紙として掲載された文章に、継ぎ足して書きました。
【長谷川泰三先生紹介】
15歳で、一生歩けなくなった。
「死のう」向かった東尋坊で少年が出逢ったものとは――
車いすのカウンセラーが伝える 大切な人の命を救うためにできること
心が折れたとき、この本を手にしてほしい
「命のカウンセリング」(あさ出版)
(24時間テレビ35 愛は地球を救う)ドラマスペシャル『車イスで僕は空を飛ぶ』原作!
「車イスが教えてくれたありがとう」(あさ出版)
「まんが 車いすのカウンセラー・いのちの声をきく」(まんが折原みと・ぶんか社出版)
「著者について」
ブイリターン総合心理研究所 所長 心理分析士 プロカウンセラー1966年、大阪生まれ。
4歳で一家離散し、中学生で不良の仲間入りをする。
友人の無免許運転で起きた事故が原因で脊髄を損傷し、車いすの生活に。
事故の後遺症や障害を苦に何度も自殺未遂を起こすも、温かく励ましてくれる人々のやさしさや、障害者施設で出会った人たちからの「動けて話せるお前は俺たちの希望の星だ」という言葉を励みに、再起を目指す。
師となる人物との出逢いを機に、自身の経験を活かしたカウンセラーの道に。
プロカウンセラー歴は18年を数え、約2万件の心理相談を行ってきた。
“心理学界のブラックジャック"の異名を持ち、
「自殺の予防」をスローガンに全国各地にて面談、カウンセリング、心理学ワークショップ、講演を行っている。
その内容は「死の一歩手前まで追い込まれていたが、人生の面白さを感じられた」とクライアントや受講生から高い評価を受けている。